コドモもオトナもモモのうち

コドモもオトナもモモのうち 2005年08月11日


『ゆにねっと』に“あゆと歩こう”ともうひとつ、
“あゆの視線”ってやつが、カナロコスタートとともに始まった。
4月から定期連載の予定が、いろいろとあって更新がのんびりなんだけど、
この復帰後から、もう少しだけペースをあげたいなって、思うのね。
うん、希望だからプレッシャーは与えないでね。
(もちろん“あゆと歩こう”は、カラダの様子見ながら復帰なので、
 もうちょっと時間がかかるけど、やるからね☆)

どっちのテーマに属するか悩んでるのが、
今度の選挙について。

ココでもちょこまか書いてきた
“障害者自立支援法案”は、この解散で廃案になった。

でも、果たしてそれでいいのだろうか。
そう思うところもあったりして。
だけど、あゆは賛成とも言えなかった。
あまりにも急に、唐突に、ひどすぎるないようだったから。

大きな原因というかきっかけは、郵政民営化について。
つまり郵便局は、いままで日本という国が、
国のお金を使って「ああしよう」「こうしよう」と言う言葉で、
大きなものが決まってきた。
いろんな行動をするのにお金がかかるわけで、
それを買い物すればくっついてくる消費税や、働いてれば払う所得税っていう、
みんながいろんなカタチで払う税金だったり、
郵便局で貯金しているお金、郵便局ではいった保険のお金なんかで、
その行動はとられているわけ。
だから、みんなのお金で郵便局は作られていて、
その「ああしよう」「こうしよう」を決めていく政治家の人たちのお給料だって、
みんなの働いたり、一生懸命貯めたお金だったりするんだ。

国が持つ郵便局という存在があることで、
小さな村や街、地方の場所にもまんべんなく作っておかなきゃ、
日本に住む人は平等だと決められているのだから、
不公平になっちゃう。
だけど、民営化といって、ほかの銀行のように、
○○駅にはあるけど、地元の駅にはない…なんてことが起きるんじゃないかっていう、
そういう不安があると言われているのね。
それは、小さな街だと住んでいる人も少なくて、使ってくれる人が都会より少ない。
だから儲けられないから、なくしましょうってなるんじゃないかと。
だけど、
このドタバタ劇の直前に「小さな村から撤退はしない」みたいなことを、
発表されていたのね。

国がお給料をくれるからって「いらっしゃいませ」も言わず、
「困っていることはありませんか?」と、声は絶対にかけないで、
多くの人に使ってもらえる努力をおろそかにしていいのか?ということ。
そうやって働いている人の上に立つ人は、
「どうしたら多くの人が使ってくれるだろう?」と、悩まないことに、
とても問題があるの。
だって、会社はつぶれてしまったらお給料がなくなってしまうから、
生活をしていくことができないから、いっぱいみんなで考えるけど、
郵便局やかかわるその仕事は、
国からお給料は出るから、お給料がなくなることはないやって、
たくさん無駄に使っている人も、仕事に励まない人もいっぱいいる。
日本に住む人は平等だから、郵便局はいっぱいあって、
そのために働いてるんだし、なんとかなるでしょって、思う人もいっぱいいる。
もちろん、そうじゃない人だっているんだけどね。

普通に生活しているあたし達は、気づかないよね。
でも、いまこうしているときにも、あたしたちには分からないくらいのお金が、
いっぱい使われている。
もっと、どうして“民営化”したほうがいいのか、あたしたちに教えてほしいよね。
でも、無駄遣いされているのは、いやだよね。
じゃあ、なんで“民営化”することを、反対している人がいるのか。

選挙にいって、こういったことを真剣に考え、
この人は賛成だから、反対をしているからといって、
自分の意見をその人に託すの。
でも、選挙にいって、そういうことが言えるのはオトナだよね。
大人はその自覚をしなきゃならない。

だからといって、子供だったらなにをしようか。
このサイトには選挙権というのを持っていないみんなもきてくれるよね。
オトナに聞いてみて?
実はまわりにいる大人も、よく分かっていない人が多いから。
仕事が忙しいと、考える時間もなくなってしまっている現実だけど、
こう言うことは分からない、疎いからと、逃げてしまってはだめなんだ。
大人は子供と向きあわなきゃ。
自分たちとも向きあわなきゃ。
障害があっても、なくても、たいせつなことだよ。
そして、自分はどう思うか、話してみるのはどうだろう。
夏休みの日記に「今日はお父さんやお母さんと、民営化について話しました」ってあったら、
それって先生と言う大人もびっくりかもよ。

自分の家の側の郵便局はどうなるんだろう。
郵便屋さんはどうなるんだろう。
そこで働く人には、どっちのほうがいいんだろう、と。
それを考えるだけで、聞いてみるだけで、周りの人にいってみるだけで、
日本は変わるかもしれない。

あたしは“障害者自立支援法案”についても、
そういう想いで、ここに書いてきた。
また、これについて改めて書くけど、
知らないことほど怖いものはないんだ。

たとえば、難しい言葉で
「明日からコンビニには入場料100円がかかります」って決まって、
なんにも知らずにアイスを買いに100円を持っていったら、
コンビニには入れても、アイスを買うお金がない。
「車いすを使わなきゃ、街を歩いちゃいけません」って言われて、
それができないなら罰金って言われたら、車いすを使わない人はどうしよう?
外でしゃべったら逮捕ですって言われたら、どうする?
そんなの困るでしょ。
怖いでしょ。

知ろうとすることが、第一歩のできること。
誰かひとりに言うことが、もう一歩できること。
あゆはそう思うよ。