どうおもう?
どうおもう?
「あゆはさ、なんもまともに自分でできないしさ。
っとにさぁ、ちっとはスマートにやってみろってんだよ。」
「あゆの手ってさぁ、カタチが変じゃん。
手場先みたいだよね♪」
こういったこと、
自分で言える人はどれくらいいるんだろう。
きっとね。
障害者を保護しようという運動をしてきた人たちには、
口がさけても言えないセリフだろう。
でも、あゆは、よく言ってる。
障害者はきらいです。
たぶん、それは、今あゆが多くの人たちに、
【あゆ】として扱ってもらっていて、
多くの配慮もされているけど、
変わらずにいろんなことを、一緒に楽しんでもらってるから。
だから言える。
できないことだけが、障害者じゃないんだよね。
だから『障害者だから』っていうのが、きらい。
別に、わざわざ、言わなくていいじゃん。
なんだか最近、人に誉められることが多い。
ぃぁっ、自慢ではなく、社交辞令かもだけど。
不思議なことかも知れないけど、
外見を、容姿を誉められるからおもしろい。
手のカタチは違うのに?
歩き方がおかしいのに?
自分でいろんなことができないのに?
そんなことは関係ないんだって。
腕が細くていいねとか、手がちっちゃくてかわいいとか、
興味本位もあるけど、
「あゆと話してみたい!って思わせるんだよね」が
一番の理由なんだって。
なにも変わらない、ほかのオンナノコと一緒。
仕事をする時。
確かに作業は遅いし、体力はないのだけれど、
ほかで補えるものがあるはずって思う。
なにより対等に勝負できる場所。
だから「ウチのあゆです」と、紹介してもらえたり、
外部との関わりの時に「あゆはこい」と言われる時に、
自信につながっていく。
恋人といる時。
あゆがイチバンいろんなことを意識する。
だって、彼には恥ずかしいって思わせたくない。
できないことは多いけど、
「俺の彼女は世話してやんなきゃだけど、
話すとおもしろいし、めちゃかわいい」くらい
自慢されちゃうようなオンナノコでいたい。
だって、自慢できるくらいじゃなきゃ、できないことは補えない。
あゆに必要なものは、
どんな体のカタチになっていても、シャンとして前をみるコト。
あゆみつづけること。
それをなくした時、きっと、恋も未来も消えていく。
歩こう。
多くの人が、あゆのこの小さな手を
とってくれているのだから。