カタチってそんなに重要なの?

カタチってそんなに重要なの? 2004年10月31日


あなたはだぁれ?
どんなひと?


あゆはあっちこっちで「いろんなカタチ」を話してる。
どんなカタチもありでしょって。
たかがちょっと人とカタチが違うだけじゃん?
(そりゃ、イケメン好きだけど)


こういう話をしていると、こんなメールが来る。

「あゆさんって啓蒙活動されてるんですね。」

ハッキリ言います。

してません!!

しかも啓蒙って差別用語だとか。
あゆはあゆとして、ナチュラルに生きていたい。
そう思う同じ価値観の人もいる。

それが障害があろうが、カタチが違かろうが、
線引きっておかしいじゃん?と言ってるだけなんだよ。
福祉のためにとか、知ったこっちゃない。

だからあゆは言う。

「障害者だからと言って群れてエラソーにしてるなら、
 んなもん崩壊してしまえ」と。

障害が同じだから、価値観が一緒?
んなことはない。
みんなそれぞれ思いが違うんだから、
いろんなカタチの人と一緒にいたっていいじゃん。

カタチが人と違ってもいい。
でも、自分のHEARTとカタチが全然違っていたら、
それはどうなんだろう。

今年の夏に「性同一性障害の性別変更」を認める法律が施行されて、
先日、あの有名なカルーセル麻紀さんが、ホントのオンナになった。
とてもきれいな人だし、年齢も感じさせない。
ついこの間まで、あゆも女の人だと思ってた。

なんかね、嬉しいって思った。

そして、きっと、彼女が認められなかったら、
誰が認められるんだろう?と思ってた。

あゆは障害がある、車いすを使うというだけで、
性別がなくなってしまうことがある。
おかしな日本と言う話はたくさんしてる。
オンナノコならオンナノコとして扱ってほしいのに、と。

でもきっと、彼女たち、彼らは、
あゆのこうした「瞬間的な性別がなくなる」のとは違って、
もっともっと、深い想いがあるんだと思う。

ずっと気になっていた存在。
だけどリアルに感じ、もっと想いあえると思えたのは、
宮崎留美子さんに出会ったから。

そして確信になった。
勇気になった。

やっぱりカタチって関係ないじゃんって。

彼女たちも、彼らも、笑って過ごせる日がきてほしい。
車いすだろうが、杖ついてようが、笑っていられればいいんだと思う。

あゆママに聞いてみた。
「うちの姉妹が男になりたいって言ったら?」
即答が返ってきた。
「男でも、女でも、あたしの子供ならいい。」

あゆを産んだ時に、ままは思ってた。
手がなくても、怪獣のような(ぉぃ)でも、あたしの子供ならいい…と。
それだけは変わらないと。

そんな風に言われて育ったあゆ。
やっぱりカタチはどうでもいい。
好きな人は好き、きらいな人はきらいなの。